
テーマをもった取材のもと、お話を聞かせていただける取材先を選定させていただいております。診療方針やお人柄に感銘を受けたドクターや変化の激しい医療業界でチャレンジを続ける方などの情報をMRから収集しています。

取材のご了承をいただけたら、日程の調整を行い、現地のMR
と本社の祐担当者、制作ディレクター・ライター・カメラマンなど の制作チームが同行します。

取材先のドクターや薬剤師の方に確認していただき、
正確な情報を届けられるよう努めています。取材先との校正のやりとりは2〜3回行います。

MRの手によって全国の医療機関に配布しています。
【祐 編集担当者 座談会】
2013年に第1号が発行された祐。
当時の編集担当者であった山口と中島、
2021年から担当を引き継いだ荊木の3名で座談会を行いました。
10年前から祐に込められた想いをぜひお読みください。
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祐徳薬品工業株式会社 常務取締役
経営管理本部長 兼 医薬営業本部長
山口 雅孝(写真中央) -
祐徳薬品工業株式会社
経営管理本部 経営企画部 課長
中島 弘文 (写真右) -
祐徳薬品工業株式会社
医薬営業本部 医専営業推進部
荊木 佑介 (写真左)

山口:祐徳薬品工業から医療機関のみなさまに、薬品だけではない話題や情報をお届けしたい。祐はそんな発想からスタートしたんですよね。
中島:第1号の発行に向けてさっそくミーティングを始めましたが、医療機関のみなさまは非常にお忙しい方々ばかりです。分厚い情報誌はちょっとイメージが違うと、ライトな読み物の方向性に決まっていきましたね。
山口:ふとした時間に目を通していただき、わずかながらでも心がなごみ、気づきを得ていただけるような冊子が理想ではないだろうかと準備を進めました。
荊木:お届け先のみなさまのお時間を取りすぎないよう、祐はあえて4ページにしているんですよね。医療機関のみなさまが弊社MRから祐を受け取り、まずはデスクの端にでも置いてくださり、ちょっとしたスキマ時間に目を通していただく。祐はそんな存在の読み物でありたいです。


山口:10年間続いている祐ですが、最初は発行に反対されたものです。(笑)それまで販促誌などの成功例がないことが理由でした。ただ、我々のなかでは手応えを感じていましたし、長年続いていく冊子を提案できるという自負はありました。
中島:当時、担当者のひとりだった女性スタッフも一緒になって上層部を説得し続けましたよね。何が何でも反響をもらえる冊子にするぞと意気込んでいたことをよく覚えています。
荊木:祐というタイトルは、祐徳薬品工業の最初の一文字から取ったんですよね。
山口:そうです。実は、祐の文字には「助ける」という意味もあるため、医療機関のみなさまの一助になる冊子として発行を重ねたいという思いも込められています。

中島:祐は「医療関係者のみなさまのためになること」をいちばんの編集方針とし、発行してきました。これまで取材させていただいた方々は病院の先生、薬局の方、著名人とさまざまですが、その方の経歴等のご紹介にとどまらず、読み手のみなさまが仕事のヒントを得られるような、気づきのきっかけになるような内容を目指してきました。
山口:中庸というのでしょうか。我々の趣味趣向や得意分野を押し出すのではなく、これまでどおり幅広い方に喜んでもらえるような内容をお届けしていきたいですね。
荊木:私は以前MRとして祐をドクターにお届けしていました。祐39号から担当者となりましたが、今、世の中の医療情勢の動向は激しさを増しています。そんな時代、どこに着目して、どう発信することが医療関係者のお役に立てるのか。しっかりと考えながら編集にあ


荊木:祐の創刊号の制作について、おふたりにとって記憶に残っているエピソードはありますか?
中島:創刊号のインタビューでは作家の池井戸 潤さんに登場していただきました。「下町ロケット」が発行されたばかりの頃で、それからあっという間に人気に火がつき、今のご活躍はみなさんご存じの通りです。
山口:当時、私も中島さんも「下町ロケット」を熱心に読んでおり、池井戸さんにダメ元でご依頼させていただいたのです。まだ今ほどのブレイクをされる前とはいえ、思いのほかすんなりと快く受けていただいて感動しきりでした。
中島:「下町ロケット」の舞台は東京都大田区の東糀谷で、祐徳薬品工業の東京支店も偶然ながら同じ東糀谷にあるのです。


山口:当時の私にとっては「下町ロケット」の舞台である町工場のチャレンジ精神や“小が大を倒す”といった点が、九州・佐賀から全国に販路を広げる祐徳薬品工業の姿と重なりました。またちょうど久光製薬さんと業務提携をする時期でもあり、個人的には祐徳プライドを持ち続けようぜ!という想いも膨らんでいました。
中島:2号目以降もお話をお聞きしたい著名人の方に取材依頼をさせていただき、柔道の故・古賀稔彦さん、JR九州の車両デザインなどをされている水戸岡鋭治さん、書道家の武田双雲さんなどにも登場していただきました。
荊木:その時代に、真剣に挑戦されている方、新しい取り組みをされている方に次々と登場していただいていたのですね。
山口:初期の頃は私たちが「ぜひともお話をお聞きしたい!」という方に、体当たりでご依頼をしてきましたね。取材で得た言葉を読まれた方が一瞬でも「なるほどなあ」と前向きになってくださったらよいなと願っておりました。

荊木:最近は医療機関から「ぜひ取材してほしい」というお声がいただけることも。これまで10年間続けてきたからこそ、祐の存在が浸透していると実感できています。
中島:バックナンバーがほしいと言っていただけるのはとても感慨深いです。
山口:発行部数の1万部は、10年間変わらず守ってきました。最初はMRひとりにつき100部配ろう!が合言葉でしたね。九州の銘品や美味をピックアップして取材したコーナーもぜひご一読いただきたいです。
荊木:今回、祐10周年記念サイトの開設で、バックナンバーがオンラインで閲覧できるようになりました。これからはより多くのみなさまに祐を読んでいただくことも目標のひとつとしていきます。
中島:最新号の更新も続けていきますので、よりお気軽に閲覧していただきたいですね。

荊木:今後は対談なども企画して医療関係者のみなさまの日常的な会話や素顔が垣間見られるページづくりにも挑戦したいです。
山口:それはいいですね。祐がまた10年続き、いつしか100号を迎えられるように頑張りましょう。これからもふとした時に気負わず読んでいただける祐をお届けしていきたいですね。